科学的発見における人間の認知的・行動的限界

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科学的発見における人間の認知的・行動的限界

本シリーズの第一論考は、機械は発見できるかと問うた。その問いに答えるには、それに先立つ別の問いを正面から引き受けなければならない。すなわち、人間が主導する発見は、本当のところどれほどのものなのか。本稿は、現在の状況がどこで限界に達しているかを、人間の認知構造と社会構造という「構造」の問題として論じる。


1. 人間の発見が限界に達するところ

本シリーズの第一論考は、ある厳しい観察で締めくくられた。今日、生み出される知識の量は、どんな個人の知性も、どんな制度も追いつけないほど膨大になっている。また、人間の認知構造の限界、研究を行う社会的環境からの研究テーマの選択に関する影響などいろいろな問題が、人間による科学研究の限界の要因になっている。その帰結が構造的ミスアライメントである。これは個々の科学者の失敗ではなく、人間の発見というものが全体としてどう組織化されているかの不整合なのである。構造的ミスアライメントとは、人間の認知と行動の構造と、それが捉えようとしている自然の構造との、相互の食い違いを指す。一人の科学者が複雑な現実を丸ごと受け止めることはできない。その人が研究するものは、その人が研究すると選んだもの、あるいはその人の方法が見せてくれるものでしかない。

第一論考はある問いを発した ── 機械は発見できるか。本稿が問うのは、より静かな問いである。私たちが今行っている科学はどのようなものか、そしてその限界はどこにあるのか。その限界は二種類ある。第一の限界は、個々の科学者の内側にある ── 一つの知性が、関連する知識に到達し、複雑な現実を歪みなく表現し、その現実を横断して推論する、その容量のうちに。第二の限界は、個人の外側、すなわち何が研究され、何に予算がつき、何が出版され、何が信じられるかを決める誘因構造と制度のうちにある。両者は競合しているのではない。両者は同時に作動しており、私たちが実際に手にしている科学とは、両方が同時に走っているところで成立する科学なのである。

これは科学者への告発ではない。彼らの限界は人格の問題ではない。有限の知性が、有限の制度を通じて、両者よりも大きく複雑な現実に向き合うとき、必然的に立ち現れるものなのだ。その限界を名指すことが、そこを超えて設計するための第一歩である。

2. PART I ── 認知の限界

第一の限界は、科学者一人ひとりが自らのうちに抱えるものである。これから順に挙げてゆく各限界は、いずれも、個々の科学者が見うる範囲を狭めてゆく。

2.1 情報の地平線

最も単純な限界から始めよう。量があまりにも多いということだ。科学文献は、いまや個人どころか、現実的な規模のチームをもってしても、自分の専門分野の中ですら読み切れないほどに膨らんでしまった。論文は、いまや年間数百万本という規模で生み出されている。今いる立ち位置から一定の距離を超えると、関連するはずの知識は、研究者人生のうちに手の届く範囲から外れてしまう。

生物医学の科学文献だけでも、いまや年間 150 万本を超える論文が加わる(González-Márquez et al., 2024)。これに対する素直な反論は、誰もそれを全部読む必要などない、重要なものだけを読めばよい、というものだ。だが、どれが重要なものかは、誰が決めるのか。重要性は、論文の表面に書かれていることなどめったになく、その論文がほかとつながったになってから、ようやく読めるようになるものだ。そして、何が重要かを事前に振り分けようとする行為そのものが、振り分けることで節約しようとしていた、その有限の注意のうちにすでに収まってしまう。したがって、ここでの限界は、量それ自体ではない。事前には振り分けることのできない量である。知識は絶えず積み上がってゆき、自分のすぐ隣の研究領域にある論文が、欠けたピースをそこに含んでいるかどうかを、事前に知ることはできない。

これを、物理学の事象の地平線との類比で、情報の地平線と呼ぶことにする。事象の地平線とは、その向こうからいかなる信号も外部観測者に届くことのない、その境界面のことだった。情報の地平線にも、同じ条件が成り立つ。生み出される情報の量が、いったん人間の科学者が読み取れる容量を超えてしまうと、その閾値の向こうの情報は、存在し続け、増え続けてはいるが、そこからの信号は、間に合うように届くことができない。問題は、科学者の読む速度が遅いことではない。読みうるものが、読むという行為のできる範囲を超えて成長してしまったのだ。同時に、現在の科学は、基本的にこの地平線の内側で起きている ── ある科学者が手の届く知識の中で起きていることなのである。

2.2 情報ギャップ

地平線の内側に入ってもなお、第二の限界が立ち現れる。論文として発表されていることが、それ自体としては、その論文が言おうとしていることを伝えきれない、ということだ。ここで言う「ギャップ」は、離れた知見と知見のあいだのギャップ ── これは次の論考で扱う ── ではなく、もっと基本的なものである。論文は、その文に込められているはずのことの、すべてを表現してくれてはいない。表現されているのは、明示的に書かれたテキストである。表現されていないのは、その分野の素養を持つ読者が、無意識のうちに補っている暗黙知である。

そのもっとも明瞭な実例は、どの文を取り上げても多くの場合に観察できる。酵母生物学の論文から、こういう文を取ってみよう ── 「接合フェロモンに応答して、Far1·Cdc24 複合体は Msn5 によって核から輸送される」(Shimada, Gulli & Peter, 2000)。この一文を忠実に表現するために ── 別の研究者、あるいは機械が、その上で推論できるような分子間相互作用として描き出すために ── われわれは、その文が言っていないことを補わなければならない。Far1·Cdc24 複合体は、そもそも核の中に存在しているのか。それはどのように翻訳後修飾を受けていようと核から輸送されるのか、それともある特定の修飾形態のときに限るのか。Msn5 そのものは、この出来事の一部としてどこかへ移動するのか。これらは何一つ書かれてはいない。すべてが補われねばならず、酵母生物学者は素養があれば気づかぬうちにそれを埋めている。Systems Biology Graphical Notation(システム生物学グラフィカル表記法、SBGN)は、まさにこの目的のために開発された標準的な図式表記法であり、自然言語による記述が暗黙のままにしているものを、表に引き出すよう設計されている(Le Novère et al., 2009)。だが、その SBGN の図式ですら、誰かが「描くべきだ」と知っていなければ、分子が核に最初から存在しているという事前の核内局在を描くことはできない。書かれていない層は、文の外、読み手の内側にある。

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[図 2.1 ── 一つの文に潜む情報ギャップ:上に自然言語の文を一つ置き、その下に Far1、Cdc24、Msn5、そして核の境界を描いた SBGN 図式を示す。図式の脇には、その文が答えていない問いを並べる ── 核内に存在しているか?どの修飾状態のときか?Msn5 自身は移動するか?]

同じ不完全性が、方法のレベルでも現れる。論文の方法の項(プロトコル)は、一つの実験を他の実験と区別する諸ステップを記述する。だが、その分野の現役の実験家であれば誰もが知っていると前提されている、千の小さな判断 ── 状態が転移するタイミング、コンフルエントな単層細胞の手触り、いずれも合理的な二つのバッファ pH のあいだの選択、実験台に置きっぱなしになった試薬をどう扱うかというラボの慣例 ── そういったことは、書かれない。同じ印刷されたプロトコルを受け取った二つのラボが、一般には同じ実験を遂行することはない。再現性問題と呼ばれるもの(これには §4 で立ち戻る)の一部は、実のところ伝達の問題である ── ちょうど、「地図は領土ではない」のと同じ意味で、プロトコルの文書は、プロトコルそのものではないのだ。論文が運んでくれるのは、ある探究の行為の、明示的な残渣である。その暗黙の本質は、紙の上ではなく、ラボの中に住んでいる。

この二つの例は、同じ問題を指し示している。科学的な書き物は、省略の上に成り立っている。書き手は、その省略を埋められる読み手がいることを前提にして書く ── そして、その省略率は高い。すぐ隣の専門分野にいる人間にとって、省略を埋めることは自動的になされ、ギャップは見えない。だが、大量の論文から知識を抽出し科学の自動化を行う場合には、書かれていない層こそが、まさに届いてこない部分である ── そして、届いてこない部分は、科学が実際に知っていることの、相当の割合を占めている。

2.3 表現問題

知識に到達でき、それらをつなぐこともできたとしよう。それでもなお、それをどう表現するかという問題が残る ── そして、ここでは人間の認知構造自体が、問題の根源でもある。

人間の概念的カテゴリーは、粗い。それは低次元のものであり、研究者たちが記憶のうちに保持し、互いに伝え合えるかたちに整えられている。下にある現実が高次元で非線形のとき、そのカテゴリー ── つまり地図(Map)── は、領土(Territory)と合致することができない。Alfred Korzybski のあの定式が、簡潔に、的を得た表現をしている ── 地図は領土ではない(the map is not the territory)(Korzybski, 1933)。やっかいなのは、われわれが、人間の認知レベルの解像度で描かれた地図でもって、思考することを強いられていることである。

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[図 2.2 ── 非線形な対象をどう記述するか:不規則で閉じた(非線形な)領域を一つ示し、それに対して、どの軸の上に射影するか、いくつの次元を残すか、そしてどれほど細かい格子にするか、という未決の問いが並ぶ ── 同じ形に対する、粗い分割と、細かい分割の対比。]

この対価は、表現という行為の、互いに異なる二つの場面で姿を現す。一つは、生物のもつメカニズムをいかにモデル化するかである。実際のシグナル伝達系は、フィードバック、クロストーク、非線形応答の入り組んだウェブである。だが、研究者が頭のうちに保持し、論文として公表できる表現は、たいていの場合、線形連鎖である ── 「A が B を活性化し、それが C を活性化する」。分子生物学で標準となったパスウェイ図は、まさにそのような圧縮の形にほかならない。低次元の語り口がこの分野で何十年も維持されてきたのは、誰も細胞が線形だと信じていたからではなく、線形とする考え方が、分かりやすかったというだけの理由であろう。

もう一つは、そもそも現実が、どう諸カテゴリーへと分割されているかであり、その対価は具体的である。一つのラベルが、根底において異なる複数の状態の集まりを覆ってしまうとき ── マルファン症候群がよく引かれる例で、患者のおよそ四分の一が、正しく同定されるまでに何年も待つことになる(EURORDIS, 2007、Kitano, 2016 に引用) ── 粗いカテゴリーは、領土と食い違う。そしてその食い違いは、下流へと波及する ── ある疾病において、多様な機序をもつサブタイプが混合されたコホートの上で行われる臨床試験では、ある真のサブタイプにおける本物の効果が、その他の集団によってかき消されてしまう。フィードバックネットワークを一本の矢印へと平板化する、その同じ粗いカテゴリーの問題は、不均質な現実を一つのラベルへと平板化することと、同じ問題なのである。

同じ問題が、ゲノムというスケールでも繰り返し現れる ── そして §3.4 で、それは力を増して回帰してくる。何十年ものあいだ、ゲノムのうちタンパク質をコードしない部分の大半は、「ジャンク DNA」という、引き継がれた区分のもとに分類されてきた。誤りは、ゲノムの一部が本当に機能を持たないものであることに気づいたこと ── 実際、多くの部分はそうなのである ── ではない。誤りは、粗くてタンパク質中心のそのラベルが、当のジャンク領域の内に組み込まれた機能的調節エレメントを、無意識のうちに見逃してしまうことを許してしまったことにある。そしていま、ヒト形質に関わる遺伝シグナルの相当な割合が、まさにそこに存在することが明らかになりつつある。表現問題と、§3 のロングテールとは、結局のところ、二面から見られた同じ問題である ── 便宜上の分類が、知見と取り違えられたのだ。

2.4 次元性の限界

なぜ人間の表現は、低次元で粗いカテゴリー化にならざるをえないのか?それは、推論プロセスそのものが、補助なしには、高次元で非線形で、フィードバックに満ちた系を理解できないからである。これは、認知の諸限界のなかで最も深いものであり、最も生物学的限界に関わるものでもある。

ワーキングメモリは、同時にはたかだか一握りの個別項目しか保持できない。古典的な見積もりは、約 7(Miller, 1956)から、せいぜい 4 程度(Cowan, 2001)に下げられてきた。正確な数値がいくつであれ、それは小さい。そして、それは、一人の人間が、何個の相互作用する変数を、同時に活性化された関係として保持できるかについての、厳しい上限である。生命システムは、その上限を尊重してはくれない ── 系の振る舞いは、数十から数百の構成要素の同時的な相互作用から生じてくるのであり、興味深い挙動は、まさにその相互作用のうちに生じるのであって、個々の部品のうちにあるのではない。

これがすべてではない。そして、正直な版は、そうではないことを認めることによって、かえって強くなる。人間は、この上限を部分的に迂回している ── 外部表記、数学、シミュレーション、そして共同研究者間の認知労働の分業によって。一つの分野が集団として保持しているものを、その分野のどの一人として、自分一人では保持していない、ということがありうる。だが、これらの補助は、限界を拡張するのであって、撤廃するわけではない。数学は、なお誰かによって考案されねばならず、シミュレーションは、なお同じ 4 個のスロットからなるレジスタに縛られた人間の認知によって解釈されねばならず、対象とする系が大きくなればなるほど、結局のところそのすべてを同時に保持することのできない個々人の上に、統合という負担が回帰してくる。したがって §2.3 で見た粗いカテゴリーは、怠慢の選択ではなく、強いられた選択なのである ── そしてこの種の強いられた限界こそが、異なる構造のシステムが軽減できる位置にあるものなのだ。

2.5 科学的推論における認知バイアス

推論プロセスは、ただ限界をもつだけではない。それは系統的に偏っている。確証バイアス(confirmation bias)、アンカリング(anchoring)、利用可能性バイアス(availability)、性急な結論(premature closure)、代表性バイアス(representativeness)── これらは、個別的な例外事象などではなく、安定して再現する問題であり、臨床推論において詳細に分類されてきた(Tversky & Kahneman, 1974)。そしてこれらは、科学的判断を、予測可能な方向に歪める。それは、個々の判断に対してだけではなく、分野全体に対しても作用する。

タンパク質-リガンド結合の「鍵-鍵穴モデル」の像を考えてみよう(Fischer, 1894)。このモデルは、ほぼ一世紀にわたって、この分野の支配的な枠組みとして生き残った。確証バイアスが、それを温存した ── 厳密な形状一致と整合する結果が称えられる一方で、タンパク質の柔軟性を示す証拠は、「興味深い例外」として吸収されていったのであって、カテゴリーそのものが誤っていることの証拠としては扱われなかった。アンカリングが、この分野を、もとの metaphor に縛りつけた ── 誘導適合(Koshland, 1958)がそれを緩めて見せた後でさえ、剛体的な形状の像は、データはすでに先へと進んでいたのに、なお既定のイメージとしてあり続けた。利用可能性バイアスが、何が研究されるかを振り分けた ── 結晶化に適したタンパク質、したがって静的な構造の描像にかけられるタンパク質こそが、この分野の知るタンパク質だった。一方、天然変性かつ動的なタンパク質は、系統的に過小評価された ── それらが重要でなかったからではなく、利用可能な方法には見えなかったからである。その結果、ひとつのカテゴリー枠組みが、データを選び、そしてそのデータが、当の枠組みを裏付けた。誘導適合(Koshland, 1958)による修正、そしてやがてのコンフォメーション選択(Boehr et al., 2009)の像によって、結合は、最終的には動的な事象として再カテゴリー化された。だが、剛体的形状の枠組みは、その再カテゴリー化が到来する以前の、何十年にも及ぶ探究を、すでに振り分けてしまっていた。これらのバイアスは、ひとつの帰結として、人間のカテゴリーがどう働くかに由来する ── George Lakoff が論じたように、われわれのカテゴリーは世界の中立的な鏡ではなく、人間の認知そのものによって構造化されている("our categories are not neutral mirrors of the world but structured by human cognition itself"; Lakoff, 1987)。したがって、カテゴリー化という行為そのものが、先入観を持ち込むのだ。

不規則な現実があり、複数の観察者が、それを記述しようとしている、と想像してみてほしい。各観察者は、それぞれ異なる先入観と立ち位置に制約され、同じ連続的な形状の上に、自分の直線的な分割を重ねる。それぞれの分割は、互いに重なり合うことはなく、どの一つも、真の輪郭を捉えていない。それでも観察者は、各自、自分の分割こそがその対象の形である、と信じきっている。同じ現実が、異なる認知に対しては異なる表現を生み出す ── そして、同じ観察された現れが、異なる底にある現実から生じうるのであって、データの一致は、世界の一致を保証しない。バイアスは、地図を、単に粗いものとしてだけでなく、傾いたものにする。しかもその傾きは、地図を作っている本人が、内側からは気づきにくいかたちで生じる。

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[図 2.3 ── Reality vs. Human Cognition(現実 vs 人間の認知):有機的で雲状の領域(現実)が示され、その上に、互いに位置をずらし部分的に重なり合う 2 つの破線の矩形(Human Cognitive Representation 1 および 2(人間の認知的表現 1 と 2))が描かれている。どちらの矩形も、雲の輪郭にも、互いにも、合致してはいない。]

2.6 マイノリティ・レポート問題

最後の認知の限界は、他のすべてがうまくいっている時にも作動する。シグナルが到達され、つながり、忠実に表現され、正しく知覚された、と仮定しよう。それでもなお、シグナルは棄却されうる ── それが少数派の側にあるという、ただそれだけの理由で。

具体的に考えてみよう。ある二つの分子について、99 パーセントの報告が「A は B を活性化する」と結論し、1 パーセントが「A は B を阻害する」と結論する、と仮定しよう。その 1 パーセントを、どう扱えばよいのか。反射的な答えは、それをノイズとして扱い、無視する、というものである ── そして多くの場合、それは正しい。なぜなら、外れ値のほとんどはノイズであるからだ。だが気がついてほしい。その反射的な答えは、本当に問うべき問いを、決して問おうとはしない ── そのマイノリティ・レポートの質は、いかなるものか? 正しい識別基準は、少数派の 大きさ ではなく、その独立性である。もし、合意する 99 件の報告のすべてが、結局のところ一つのラボに、一つの手法に、あるいは一つの礎となる前提に遡るのであれば、その数の重みは幻にすぎない ── それらは一つの観察の繰り返しなのであって、別のラボからのただ一人の異議申し立てをするものが、それら全部よりも、より多くの真の情報を運んでいるかもしれない。これに対して、もし 99 件が、本当に多様なラボ、手法、モデル系から来ているのであれば、その合意は頑健であり、外れ値はおそらくノイズである。

ここでの問題は、したがって、知覚のそれではなく、評価のそれなのである。そして「数による重みづけ」は、正しくない道具立てである ── それは独立した証拠を秤量するのではなく、繰り返しを数えているのだから。マイノリティのシグナルは、見られてはいるが、その稀少性のために棄却される。だが、本当に問うべきは、それを排除している多数派の構造についてである。評価が、個人の認知の内容ではなく、共同体の構造に依存し始めたその瞬間、われわれは個人の認知の領域を出て、インセンティブと制度の領域に入ったのである。これが、Part II への転回点である。


3. PART II ── 社会的・行動的限界

第二の限界は、個人の認知の外側に、すなわち、集団としての科学的営みが何を行うかを統べる、その構造のうちに存している。Part I が問うたのは、一人の科学者は何を知覚できるか、ということだった。Part II が問うのは、システム全体が、何を許容し、何を報奨するか、である。

3.1 キャリアのインセンティブ、リスク回避、そして集中というボトルネック

シニシズム抜きで始めよう。なぜなら、シニシズムはメカニズムを取り違えてしまうからだ。科学者は、二つのことに同時に動かされている ── 立ち行くキャリアと、本当に意味のある仕事をしたいという、誠実な願いとの両方に。そして、その両方が、同じ選択へと押しやる ── すでに重要だと知られている、あるいは強く重要だと推定されている標的を研究することへと誘導されていく。よく研究された遺伝子を研究することは、キャリアにとって安全な選択であり、そしてまた、重要な生物学的事象がどこに眠っているかについての、合理的な見立てでもある。

しかし、個人個人としては合理的なこの選択が、足し合わさったとき、べき乗則の形をした集団的帰結を生む。少数の研究対象が、科学的注目の圧倒的な分け前を受け取り、膨大な数の潜在的研究対象が、ほぼ何の注目も得られない。Su と Hogenesch(2007)は、その仕組みを名づけた ── 情報科学者のいう 最小努力の原理(principle of least effort)── 人は、研究しやすいものを研究する。そして、研究しやすいものとは、ますますもって、すでに研究されてしまったものである。これは、他の場所ではスケールフリーネットワークを生み出す、優先的アタッチメントにほかならない(Barabási & Albert, 1999)。

その規模は、苛烈である。生物医学研究のおおよそ四分の三は、ヒトゲノムが解読される前の時点ですでに知られていた遺伝子の、わずか一割のあいだに留まっている(Edwards et al., 2011)。遺伝子関連の研究は、およそ二万のタンパク質コード遺伝子のうちの、約二千遺伝子に集中している(Stoeger et al., 2018)。そして、それは重要性を追随しているわけではない ── ある推定によれば、最も研究されている一割は、最も研究されていない一割よりも、生理学的にはおよそ四倍ほど重要なだけである。それなのに、研究の量は、そのおよそ二千倍にも達する。この偏りが追随しているのは、1980 年代と 1990 年代における実験的扱いやすさ ── どの遺伝子が、当時たまたま手の届く範囲にあったか ── であり、現在において理解されている重要性とはあまり相関していない。

そして、このボトルネックは、注意の集中だけにあるのでもない。それは 不可避な構造でもある。資金の流れは、論文数の統計分布と同様なべき乗則に従う(Su & Hogenesch, 2007)── したがって、Robert Merton のいう「マタイ効果」── 「持つ者にはなお与えられる」(unto those who have, more shall be given)── は(Merton, 1968)、引用件数から推測される類のものではなく、お金の流れそのものに、目に見える形で現れている。そしてそれは、キャリアにまで及ぶ ── よく研究されていない遺伝子の上で仕事をしている大学院生やポスドクは、独立研究者になれる見込みが、ある推定によればおよそ半分まで、明らかに低くなる(Stoeger et al., 2018)。テールの部分は、ただ研究されていないだけではない。避けるのが合理的なのだ。

では、そのテール部分の重要さを見逃しているために、どれほどの機会損失をしているのであろうか。そして、その機会損失が、重大であることの事例を示していきたい。TREM2 の例を考えてみよう。これは、脳の免疫細胞上の受容体である。最初にクローニングされたのは 2001 年頃で、その後、十年以上にわたって、論文数はほぼ横ばいのまま放置されていた。出版数が爆発的に増えたのは、2013 年に二本の論文が、稀少な TREM2 バリアントが、遅発性アルツハイマー病のリスクをおよそ二倍にすると報告したとき、その後のことにすぎない(Guerreiro et al., 2013; Jonsson et al., 2013)。そしてその時点から、優先的アタッチメントが引き継ぎ、分野が殺到した(Qian et al., 2024)。つまりこういうことだ。第一に、重要性は、その間ずっと、すでに存在していた ── これらバリアントがもたらすリスクは、2013 年と少しも変わらず、2001 年においても生物学的事実だったのだ。第二に、その十年間の注意は、その潜在的重要性とは、関係なく低いままであった ── この遺伝子は、テール分布の中にあった。第三に、たった一つの引き金となる発見によって、急激に注目度が増加した。したがって、注目度配分のメカニズムは、潜在的な生物学的重要性を追跡してはいなかったのだ ── もしそうであったなら、再配分が、引き金となる偶然を、十二年も待つことなど、なかったはずである。この時間的なずれは、メカニズムそのものについての証拠である ── 注意は、扱いやすさと先例によって割り当てられている。そして重要性は、遅れて、偶然によって、そのいずれにも比例しない形で、発見されるのだ。

3.2 集団的評価バイアス

TREM2 の物語は、見落としの物語である ── 誰も注目しなかった。これとは別に、二つ目の、性質の異なる問題がある。人々は 注目した ── そして、誤って判断したのだ。

キメラ抗原受容体(CAR)T 細胞療法の開発が、もっとも明瞭な例である。1990 年代から 2000 年代を通じて、Carl June の、がんを治療するための、改変されたT細胞の追求は、広く主流から外れたものとみなされていた。資金を確保するのは難しく、研究を発表するのも難しかった ── というのも、当時の支配的な枠組みが、細胞療法を周縁的なものとして扱っていたからである。共同体の評定は、その仕事を知覚し損なったというものではなかった ── その仕事は知覚され、評価された、その上で、不十分であると判定されたのだ。やがて 2017 年頃、最初の CAR-T 療法が承認を獲得し、ある種の血液がんに対する標準治療へと進んでいき、共同体が集団としては過小評価していた、およそ二十年に及ぶ仕事の、正しさが証明された。

§3.1 との対比は、構造的なものである。TREM2 は「誰も注目しなかった」例である。CAR-T は「人々は注目したが、誤って判断した」例である。両方とも問題ではあるが、それぞれの問題は、異なる段階で起きている ── 一つ目は 網羅(coverage) の問題、二つ目は 評価(evaluation) の問題である。共同体は、集団的な評定者として振る舞うとき、進行中の変革的な方向性を認識し損なうことを、しばしばやってしまう ── そのメンバーが愚かだからではなく、評価は、その時点で支配的なパラダイムにアンカリングされているからである。そして、最も重要な仕事は、しばしば、そのパラダイムに合わない仕事である。

3.3 制度的偶発性

インセンティブと評価の両者の背後には、より深い事実が横たわっている ── 科学が追求するものは、経路依存的だ、ということだ。一つの分野が取り上げる問いは、たまたまどの制度が存在していたか、たまたまどのプログラムに資金が供給されていたか、たまたまどの手法が最初に成熟したか、そして、方向が定められたその時点で、たまたま誰が影響力を持っていたか、によって形作られる。同じ現実が、別の歴史の下では、異なる順序で調査されていた可能性がある ── あるいは、まったく調査されなかった可能性も。

これは、§3.1 と §3.2 を、インセンティブから偶発性へと一般化する。そして、将来を指し示す帰結を伴っている。科学は、組織化されている ── 学問分野によって、ジャーナルによって、学科によって、学会によって。そして、その組織化は、その美点が何であれ、離れた分野を、離れたままに、能動的に保ってもいる。一つの分野を判別可能なものにしている境界は、まさにその同じ境界が、分野横断的な接触を、稀なものにしている。これは、離れた知識体系を結びつけるという認知的ブレークスルーに対する阻害要因の制度的側面でもある。そのような結びつけを稀にする構造そのものが、行動的限界の一つである。そして、次の論考は、これを直接論じる。

3.4 実証的シグネチャ ── 二つのロングテール

これまで論じてきたすべてのことは、文献それ自身に、計測可能な痕跡を残している。

第一のロングテールは、科学的注目度のロングテールである。 ランダムにヒト遺伝子を選択し続けて、そのそれぞれに関して、これまでに何件の論文が出版されてきたかをプロットしてみてほしい。その分布は、緩やかな勾配ではない ── 一握りの遺伝子、TP53EGFR などが、この分野を支配しており、その一方で、数十もの遺伝子が、名づけられてはいるもののほとんど研究されないまま、底辺近くに留まっている。あるそのような図表では、ランダムに選ばれたおよそ 100 個のヒト遺伝子にわたって、論文の 96.8% が、上位 10 個に集中している(Kitano, 2025)。その標本は ランダム であり、論点を劇的にするために選び出されたものではない。それでも、この集中は現れる。根底にある法則は、遺伝子あたりの参照数が、べき乗則で減衰するということだ(Su & Hogenesch, 2007)。極端な場合には、2007 年のある集計において、ヒト遺伝子のエントリーに対する、最も頻繁な論文数は、ゼロ であった。この分布は、以前の時代の実験的扱いやすさや選択的アタッチメントなどの影響と考えられるであろう(Stoeger et al., 2018)。

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図 3-1:ランダムに選ばれた 100 個のヒト遺伝子に対する論文のロングテール分布 ── 論文の 96.8% は、上位 10 個の遺伝子に集中している。

この現象には、確立された名前がある。Edwards et al.(2011)は、これを Harlow-Knapp(H-K)効果 と呼んだ ──「研究活動を、出版物および特許の件数で定量化される形で、プロテオームのごく一部に集中させる、生物医学および製薬研究共同体の傾向」("the propensity of the biomedical and pharmaceutical research communities to focus their activities, as quantified by the number of publications and patents, on a small fraction of the proteome")。彼らによる、ヒトのプロテインキノーム(タンパク質キナーゼ群)の解析は、この効果がいかに深く持続するかを明らかにしている。518 個のヒトキナーゼのうち、キノームが 2002 年に図示される前は、同じ少数のセットが引用の 84% を集めていた。2003 年から 2008 年までは 77%、そして 2009 年には 74% である ── ヒト全ゲノム配列が到来した、まさにその時期にあってもなお、そして、バイアスのかかっていないスクリーンが、重要な新しいファミリーメンバーを次々と明らかにしていた、まさにその時期にあってもなお、である。ゲノムこそが、注意を再配分すべき、まさに新しい capability であった。だが、そうはならなかった。これは、ツールの問題ではない。それは、注目度の配分の問題である。

第二のロングテールは、現実のロングテールである。 生物そのものが ── 複数のスケールにおいて ── ロングテール分布をなしている。そして、その現実のテールは、科学的注目度のヘッドとは合致していない。一つの細胞のうちでは、代謝ネットワークのトポロジーは、代謝物の次数のべき乗則によって支配されている ── 一握りの代謝ハブと、局所的に重要な反応のロングテールである(Tanaka, 2005)。東洋医学の代表処方である漢方薬の、麻黄湯(maoto)── インフルエンザ様症状に対する伝統的な日本の漢方薬 ── の質量分析は、薬理活性が、化合物のロングテールにわたって分布していることを見出している ── 広範な活性を持つ多数の構成成分が、複数の分子標的に対して、弱から中程度の強さで作用する(Nishi et al., 2017)。ロングテール薬(long-tail drugs)という用語は、このクラスを明示的に名指している(Kitano, 2007)。**疾患の発生機序の場合、**原因的駆動因子もまた、同じ分布に従う ── 千例を超える前立腺がんの統一的解析は、97 個の有意に変異した遺伝子を見出した。そのうち 70 個は、この疾患でこれまで関与が示唆されたことがなかったものであり、ほとんどが、症例の 3% から 5% 未満で変異していた ── コホートが十分に大きかったからこそ、初めて発見可能となったのである(Armenia et al., 2018)。複数の疾患群を統合的に解析しても同様な分布になる ── 個別には稀ながら、集合的には膨大な数の、数千の稀少なメンデル遺伝病たちであり、その分野の研究者自身が、ロングテールの明示的な言語で記述する領域である(Shen et al., 2015)。真摯に測定されたあらゆる生物学のスケールにおいて、ロングテール分布が存在し、興味深く重要な現象の多くがテール側にも数多く存在している。

ここで一つ、明確化しておきたい。「ロングテール的な現実」という表現は、ともすると loose な意味で受け取られかねないからである。主張しているのは、生物学的に重要なあらゆる量が、唯一の同じ分布に従っている、ということではない ── 効果量、疾患頻度、変異スペクトル、扱いやすさは、それぞれ異なる形状をもつ、異なる分布である。ここで言いたいのは、明確な部分だ ── 科学的に重要な研究対象は、拡散的に分布している。すなわち、科学的注目度が集中する狭い領域を遥かに越えて、広がって分布している。重要性は、ヘッドのみに位置しているわけではないのである。

ここで全体を俯瞰しよう。 二つのロングテールがある ── 一つは科学的注目度のロングテール、もう一つは現実のロングテールである。構造的ミスアライメントは、両者の間のギャップの存在を示唆している ── 注目度が集中している場所と、科学的に重要な研究対象が実際に存在している場所の、そのあいだのギャップである。注目度のヘッドは、長く知られてきた、扱いやすい少数の標的の上に乗っている。一方、多くの科学的に重要な対象は、テールにわたって薄く広がっている。人間主導の科学的営みは、そのインセンティブが要求するすべてを果たしながらも、結果として、二つのロングテール分布のズレが不可避である。これが俯瞰して見える図柄である。

これは、解釈であり、計測ではない。そして、これに対するもっとも強い反論は、正面から認められなければならない。その反論とは、集中はミスアライメントなどではなく、制約下の合理性である、というものだ。扱いやすい標的とは、進歩が実際に可能な標的のことである。力を集中させることこそが、累積的な科学が成り立つ唯一の仕方である。そして、テールの大半は、不合理に無視されていたのではなく、可能化技術 ── シーケンシング、大規模コホート、計算 ── が成熟するまで、本当に 手の届かない ものだったのだ。あらゆるテールを一様に調査することなど、できない。そして、探索と活用のトレードオフは、実在する。集中はまた、単なるコストでもない ── それはまた、いかなる分野もそれに依存している、深さ、標準、共有されるツール、累積的な確信を、科学的共同体が構築する仕方でもある。百のラボが TP53 に収斂したことこそが、キナーゼ阻害剤産業も、構造生物学のパイプラインも、腫瘍学のための臨床試験インフラストラクチャも、それらが存在するに至った仕方である ── そのいずれも、未分化なテールを一様に調査することによっては、構築されえなかったであろう。ここで理解するべきは、ミスアライメントは、いままでは、ある意味不可避であり、それ自体を責めるべきものでもないということである。

これを認めることは、ミスアライメントが存在することそのものを変えるわけではない。むしろ、ミスアラインメントが 何であるか を、より明瞭にする。TREM2 の例(§3.1)は、たった一つの遺伝子のスケールで、同じことを示している ── 重要性は、すでに存在していた。そして、それを見出すためのツールも、注目が向けられるより何年も前から、存在していた。キノームの H-K データが、何百ものタンパク質にわたって示しているものを、TREM2 は、ただ一つのタンパク質について示しているのだ。

ここで、より精密に述べておきたい。集中は、生物学の実在する特徴を捉えてはいる。だが同時に、それを 過大解釈 している。生物学的なネットワークは、たしかにスケールフリーである。そして TP53 のようなハブ遺伝子は、多面発現的に多くの機能を担い、下流に対する制御も大きい。だから、ハブを集中的に研究すること自体は、誤りではない。

では、ミスアライメントとは、何なのか。それは、より微妙なところにある。ハブだけを見ていれば、システムを理解し、制御することができる ── そういう暗黙の前提が、現状の科学を覆っている。だが、ハブの制御が届かなくなる場所が、テールの中にあるのだ。ハブを研究することが正しいとしてもなお、それだけでは捉えきれない重要な対象が、テールには数多く眠っている。

つまりこういうことだと思う。問題は、ハブに関する集中的深掘り研究(exploitation)そのものではない。現在のシステムは、ハブを深く研究する仕方は持っているが、それと並んで動くべき、ロングテールを大規模に探索する仕方を、まだ持っていない。人間主導の科学は、その制約のもとで、集中的研究については、すでに効率的にやってきている。だが、同じ制約のもとでは、テールの規模に見合う規模で、ロングテールを探索すること ── これだけは、できない。現状の問題を克服するには、現在機能している集中投資をやめることではなく、テール側を効率的に探索し、そこから多くの発見を生み出す方法論の確立にある


4. トワイライトゾーン推論

認知的問題(Part I) と構造的問題(Part II) とが、別々に解ける問題であって、一つずつ解決できる、というのであれば好都合であろう。だが、そうではない。両者は同時に起きており、現実の状況は、限界をもち偏った認知が、偶発的でインセンティブによって歪められた制度のうちで働く ── そのような状況である ── すべてが同時に、である。症状は複合する。そして目に見える症状は、再現性問題である ── よく知られたある評価によれば、ある特定の標本における前臨床の発見の、相当な割合が、再現できなかった(Prinz, Schlange & Asadullah, 2011)。この数字の適用範囲については議論があり、スローガン化されるべきではないが、その行動的原因については、疑いの余地はない ── ネガティブ結果は埋もれており(ファイルドロワー問題、Rosenthal, 1979)、新規性が再現よりも報奨される。したがって、記録は、その源において歪んでいる。

それでもなお、科学は機能する。知識は、個々に正しい、清廉な論文の系列によって蓄積されるのではない ── そうではなく、ノイズに満ちた集合体 ── 誤りを含む報告、偏ったデータセット、恣意的な解釈 ── によってでありながら、それでもなお、不完全に、時間とともに、使用可能で真であるものへと収束していくのである。北野宏明は、これを トワイライトゾーン推論 と名づけた(Kitano, 2016)。

ノイズに満ちた集合体は、いったいどうして、収束しうるのか? メカニズムは、独立した誤りにわたる冗長性である。頑健な生物学的真理は、同時に多くの場所に痕跡を残す傾向がある ── 異なるアッセイ、生物種、研究室、理論的視座において。そして、それぞれのアプローチは固有のバイアスを抱えてはいるが、それらバイアスは同一ではない。だから、実在する効果は、多くの不完全な観方の交差を生き延びる ── アーティファクトは、生き延びることができない。収束とは、結果的に、相関のない誤りによる、誤差打ち消しなのである。このメカニズムは、実在し、強力である。同時に、それは非効率でもある ── 莫大な冗長な労働を費やし、長い遅延を許容する。

これだけノイズに満ちたシステムが、それでも機能していること自体が、すでに一つの達成である。だが、そこに留まる必要はない。同じ収束に、より少ない冗長性で、より短い時間で到達する道があるのではないか ── これが、続いて出てくる問いである。異なる構造のシステムが、より効率的にこの状況を扱えるかどうか、それを、次に考えていきたい。


5. 含意

Part I と Part II で述べてきた人間の認知的・構造的限界の多くは、別の構造をもつシステム ── 人間とは違う特性を備えたシステム ── によって、相当部分が補えるものである。§4 で見たように、これらの限界は別々ではなく、同時に作用しており、現在の科学はそのために、本来であればもっと早く到達できたはずの理解に、長い時間をかけている。

ロングテール領域を活用した成功例がある。インターネット小売は、莫大な数のニッチ商品を、アクセスコストを下げることによって、流通の対象に変えた。次世代シーケンシングは、稀少疾患のロングテールに対して同じことを実現し、数千の個別には見過ごされていた疾患を、研究の手の届く領域に変えた(Shen et al., 2015)。いずれの場合も、テールそのものが小さくなったわけではない。テールに到達するための手段が、新しく作られたのである。本論考の含意は、発見そのもののロングテールもまた、同じ形の問題として捉えうる、ということだ ── ロングテールに眠っている可能性を探索する強力な手法が必要なのである

ただし、次の論考に進む前に、ひとつ書き残しておきたいことがある。これらの限界のうち、別の構造のシステムが助けてくれるものは何で、逆に、規模を大きくしただけでは代わりにならない人間特有の能力は何か ── という区分の問題である。後者の代表が、アナロジー的跳躍 ── 一見すると無関係にみえる二つの分野や現象のあいだに、深い同型性を見出す行為 ── である。これは歴史家がしばしば、発見の中心的行為と呼ぶものでもある。この区分について、次の論考で具体的に論じていきたい。

ここでは、人間中心の科学的方法の限界に関して議論した。次の論考では、これらの限界のうち、別の構造のシステムによって実際に到達可能になるものがどこまでなのかを、具体的に論じていきたい。


AI 共同執筆に関する開示

この論考は、本シリーズの第一論考で確立された開示方針に沿って、著者と AI システムとの共同で執筆された。議論、構成、資料選定、最終判断は、著者によるものである。AI システムは、草稿執筆、資料統合、ファクトチェック、反復的な改稿に貢献した。


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